一般社団法人
日本在宅救急医学会
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竹田主子先生招待講演講演記録
第3回 日本在宅救急医学会 学術集会
招待講演 講演記録
日時:2019年9月7日(土)14:25-15:05
場所:日本医科大学武蔵境校舎講堂

司会:
青燈会小豆畑病院 救急・総合診療科 小豆畑丈夫
国際医療福祉大学 消化器外科 吉田雅博
演者:
東京メディカルラボ
竹田主子

タイトル:
神経難病重度障害者の在宅医療と救急問題
医師として患者としての立場から


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講演:
みなさま、お集まり頂きありがとうございます。ご紹介頂きました竹田主子(たけだきみこ)です。
 今日は、在宅神経難病患者の救急医療の問題にスポットライトを当てた講演をさせていただきます。このような機会を頂いた、国際医療福祉大学消化器外科教授の吉田先生、医療法人社団いばらき会理事長の照沼先生、医療法人社団青燈会小豆畑病院院長の小豆畑先生をはじめ、日本在宅救急学会の役員理事の先生がたに心より感謝申し上げます。
 本日は、まだよく知られていない神経難病ならではの在宅医療と救急対応の問題について、医師として、また筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis, 以下、ALS)患者としての立場からご紹介したいと思います。私は声が出ないので、私が作った原稿を代読してもらいます。 どうぞよろしくお願い致します。

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このグラフは全国の神経難病患者数の推移を調べたものです。パーキンソン病は患者数が一桁違うので、右の第二次軸の数字になります。
平成29年時点での患者数が、パーキンソン病が約13万人、脊髄小脳変性症、重症筋無力症、多発性硬化症がそれぞれ約2-3万人、 多系統萎縮症、ALSが約1万人でした。ALSと多系統萎縮症は微増ながら、全体的に増加傾向にあります。

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神経難病ならではの救急対応の問題としては、
  • ① 呼吸筋低下による呼吸不全の際のDo Not Attempt Resuscitation(以下、DNAR)
  • ② 呼吸筋低下以外の疾患、例えば肺炎、急性心不全など、による呼吸不全の際のDNAR
  • ③ ICU、病棟でのコミュニケーション問題
が挙げられます。

 ①の原病自体による呼吸不全に対するDNARについては、カルテや診療情報提供書に記載されていれば、おおむね問題ないと思います。DNARの明確な意思表示がないALS患者が呼吸不全で搬送されてくる場合の対応は極めて難しいのですが、アンビューバックで呼吸管理を行ったら意識が戻った場合には、やはり入院対応するなどして患者や家族の意向を確認する必要があるでしょう。
 次の、②の問題としては、DNARの意思があり、書類も揃っている患者で、肺炎や心不全が治れば元に戻るという患者の、一時的な気管挿管または非侵襲的陽圧換気(Noninvasive Positive Pressure Ventilation: 以下、NPPV)に関してです。個別のケースで対応が異なりますが、先生方のご判断で抜管できる勝算が高いなら、できるだけ助けてあげて欲しいと思います。このようにALSをはじめとする神経難病患者のAdvance Care Planning (以下、ACP)もまた、複雑で重要なものです。これは、後ほど詳しく言及したいと思います。
 最後の、③のコミュニケーションの問題は、あまり想像できないかもしれません。しかし、具合が悪い時に、ナースコールが押せない事、相手に困っている事や意思を伝えられないのはとにかく不安で苦痛です。できるだけ早急に通訳のできる介助者を入れて頂けると大変助かります。


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神経難病の特徴としましては、一つには、診断は大学病院や基幹病院の難病指定医が行うため、基本的に患者には、大きな病院の専門医と在宅医がいることです。ですので、在宅と救急搬送先の病院で日頃から連携が取れていれば大きな問題は起きないはずです。また、いわゆる延命治療を受けるかどうかについて、患者と家族は診断された時から呼吸器を付ける直前まで常に考えています。明確に答えが決まっている場合もあれば迷っている場合もある点が、救急の先生方からご覧になるともどかしく映るかもしれません。しかし、人の生死に関わることは、心が揺れ動くものなのです。
 その他の特徴として、症状の進行がある程度自分で予測できる事が挙げられます。その間に医療ケアについて情報を集められるので、胃瘻や気管切開を計画的に行う患者も増えています。病気を受容するまで時間はかかりますが、受容してしまえばメンタリティーは健常者と何ら変わらず、いわゆる延命治療である呼吸器を付けている事すら忘れていますし、生きがいである仕事や子育てをしている人もたくさんいます。


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在宅医療と救急医療の連携をスムーズに行うためには、お互いの情報共有が大変重要であることは言うまでもありません。また救急搬送するべきかどうかの的確な判断、事前のACP、重症化しないような予防策、入院後の後方支援が重要なのは他の疾患と変わりません。


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前置きが長くなりましたが、以上のことを踏まえて、本日はまずALSについて、私の生活の様子をご紹介しながら神経難病のスタンダードな呼吸器系トラブルの予防法をご紹介します。
 また救急搬送時に重要な問題になるDNARの意思表示について、その決定プロセスであるACPの問題点を自らの体験や、心の動きを交えながら掘り下げたいと思います。
 そして、最後に患者の救急に対する思いについてアンケートをとったので、考察を加えながら紹介します。


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私は、自宅では普段こんな感じで過ごしています。
目の前にあるのは視線だけで入力できるパソコンでLINEやメールを送ったり、仕事をしたりしています。手前にあるのが在宅用の呼吸器で、奥にあるのが吸引器です。


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普通の吸引器の他に、私は喀痰を自動吸引してくれるアモレSU1という機器を使っています。
 私の場合はこれがないと1時間に2-3回吸引しないといけないのですが、アモレ SU1を付けていると勝手に吸引してくれるので、4-5日くらい吸引する必要がありません。患者にとっても介護者にとっても大幅な負担軽減になります。


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これはカフアシストという機械です。
フェイスマスクまたは気管切開に接続することで,陽圧から陰圧に瞬時にシフトし人工的に咳を作りだし,気道にたまった痰を吐き出すための機器です。


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カフアシストのような、機械による咳介助(機械的排痰補助 mechanical insufflation-exsufflation: MI-E)は、呼吸筋が低下した神経難病患者にとって肺と胸郭の可動性と弾力を維持し、気道クリアランス、つまり空気の通り道を綺麗に保つのに大変有効です。無気肺や肺炎予防、呼吸困難感解消につながります。


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一般的に長期呼吸器装着者に合併しやすい疾患としては
●無気肺
●呼吸器関連肺炎
●気管吸引操作による圧外傷で,気管内肉芽腫による気道閉塞
●深部静脈血栓および肺塞栓
●褥瘡
があり、いずれも救急搬送につながる可能性があるものです。
 予防策としては、先ほどの機械による咳介助の他に、抗生剤予防的投与、 体位交換、受動的下腿運動などがあります。どれも、看護師、家族、ヘルパー、リハビリ、などの多職種の協力が極めて重要になります。


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さてここからは、ACPについてお話ししたいと思います。
ACPを行う際に、患者の環境やライフステージによって人生の捉え方に変化がある事をご紹介するために、自らの体験を交えながらお話ししたいと思います。


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人生の途中で、突然、病気や事故で身体障害者になることを、「中途障害」 といいます。
 中途障害者は、始めは大変ショックを受けます。そして自分が無力で価値のないものに思えます。どんどん身体が動かなくなるのは恐怖ですし、治らないとなると自分が周りにとって、ただの厄介者になった気がして人生に絶望し死にたくなります。
 ただ、そのうち、体は不自由になったけれど、自分全体の価値が下がった訳ではないと悟るようになります。その段階まできたら障害者である自分を受け入れられるようになり、生きがいを見つけるようになります。
 私は自分を受容するまでに4年かかりました。


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価値観が変化すると、障害で失った価値以外にも自分には多くの価値があること、障害による外見の変化より、親切さ、寛大さ、賢明さ、努力、協調性など内面的価値が人間としては大事である事に気付きます。そして、他人または一般基準と比較するのではなく自分自身の価値に目を向けるようになるようになります。つまり、障害が気にならなくなり、「これが私!」 と思えるようになるのです。
 これは私だけが考えたことではなく、第二次世界大戦で身体障害者になった人たちの大規模調査でも、同様の心理状態が明らかになっています。ですので、医療従事者はともするとALSイコール悲惨という先入観を持つと思いますが、受容していれば本人はそうでもないのです。


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私は家庭と仕事の両立で必死だったころにALSを発症しました。


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これはALSと診断されて間もなくの頃の私の誕生日の写真です。
みんな精神的にも肉体的にもどん底で、途方に暮れていました。私は間もなく寝たきりになり、あっという間に手が動かなくなってしまい、食事から身の回りのことから介助が必要になりました。
 また喋れなくなったので、子供たちにとって、私は、甘えたり、頼ったりできる母親から、心配をかける存在になり、笑顔が消えました。
 私の夫も医師ですが、忙しい仕事の他に、子育てや家事、私の介護、それに慣れない福祉関係の対応に追われ、感情のコントロールが出来なくなりました。
 私は、自分がいなくなった方が、みんなが幸せになれるのではないかと毎日思っていました。


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消えてしまいたいと思う一方、可愛い子供たちと別れると思うと、悲しくて毎日泣いていました。元気だったらやってあげれたのに… と思う事があると、泣けて来ました。泣いているのを非難されると、好きでこんな病気になったわけじゃない!と、悔し涙が出ました。
 自分がいない方がいいんじゃないか、と確信した時には、肺炎になっても治療はいらないし、呼吸器をつけない、とカルテに書いてもらったこともあります。
 心が前向きになるきっかけは、24時間介護の認可が行政からおりて家族に迷惑がかからなくなり、さらに、視線で入力できるパソコンを導入出来たおかげで、仕事や交遊関係など、どんどん世界が広がり、自分に対する価値観が変わった事でした。そして何より人生の原動力になってくれたのは子供たちでした。


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ある時、成長した子供たちに、「ママが病気のために、色んな辛い思いをさせて来てごめんね」 と言ったら、「そんな自己満足のお涙頂戴ばなしはやめてくれ」 と言われ、たしかにそれはそうだなと思い、それ以来、子供たちが私の背中を見て育つように、カッコよく自分の人生を、力強く、生き抜く事を決心しました。
 このように、ACPを行うにあたり、患者は周りの環境やライフステージによっても意思を変えることがある、という事を理解して頂けると幸いです。


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このようにALSは、24時間介護が必要な病気ではありますが、介護保険と重度訪問介護を使えばヘルパーさんに入ってもらえます。介護職も一定の資格を取れば、喀痰吸引や胃瘻からの注入も出来ます。
 また、思考能力は正常なのでパソコンがあればなんでもできますし、飛行機で海外や日本国内を飛び回って仕事をしている人もたくさんいます。つまり今の時代、ALS患者は無限に活動的になれるのです。


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ここからは、患者にはそのような価値観の変化があるということを踏まえて、去年から本格的に始まったACPについてお話しします。
これは m3という医師向けサイト会社が、日本、アメリカ、イギリス、スイスの医師に対して、今年3月に行った、ACP、安楽死などに関する国際共同調査の結果です(m3.com 臨床ニュース「ACP・安楽死などに関する国際共同調査」https://www.m3.com/clinical/series/news/11339 )。

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「終末期にどこで過ごしたいか」 についての話し合いを自分自身の診療現場で一般的に行っていますかという問いに対して、日本は「よく、あるいはしばしば行っている」が55.4%と、他の3カ国の80%以上に比べ、突出して低いことが見て取れます。日本では患者の環境など人生の背景を重視していない可能性があるのかもしれません。


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参加した医師の診療科の内訳はご覧の通りですが、日本では腫瘍内科の先生が極端に少ないことと、スイスの人数が少ないことに留意する必要があります。


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続いて、終末期に関する話し合いにおいて何を優先すべきだと考えますか? という問いに関しては、DNARについての話し合いが日本で目立って高いことは、注目すべきことです。理由として「病院の方針」や「今後の受け入れ先が変わるため」という事が多かったようです。
 日本の医療サイドが、「ACPイコールDNAR」の言質を取り、書類に残す事が目的になってしまい、ACPの本来の趣旨である患者の価値観を知ることをおろそかにしている可能性があります。
 なぜ、世界的に患者の価値観を知ることが重要視されるようになったかと言いますと、ACPの前身である、アドバンス ディレクティブ(advance directive)、すなわち事前指示書が役に立たなかったからです。これを証明したアメリカのSUPPORT Study (The SUPPORT study: JAMA, 1995 Nov 22-29, 274(20): 1591-8)をご紹介します。


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SUPPORT Study Phase 2では、余命半年と思われる患者4800人を対象として、クラスターランダム化により事前指示書作成の介入がある群とコントロール群の2群に分けて調査をしました。
 介入群では、事前指示書に特化したトレーニングを受けた看護師が、患者、家族、医師、病院のスタッフと連携を取り、患者に対して病状を理解できるように説明し、緩和ケアについて説明した上で患者と医師のコミュニケーションを円滑にして事前指示を取りました。
 結果をお示しします。ここまでしてもなお、ICUの利用、DNAR取得から死亡までの日数、苦痛、事前指示書の遵守、医療コスト、患者・家族満足度 に2群間に差異は見られませんでした。


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ではなぜ事前指示書はうまくいかなかったでしょうか?
●患者が,自らの将来の状況を予測することが困難であった。
●現実の状況は複雑であり,事前指示書の内容を医療やケアの選択に生かせなかった。
●患者の意思が変わった。
●代理決定者(家族)が,患者がなぜその選択したのか理由が分かっていなかった。
という事が理由でした。
 そのため、この反省を生かしてACPが考えられたわけです。ACPは、informed consentあるいは事前指示書の記入のような一回限りの意思決定行為としてではなく,個人が有する価値・ゴールについて考え,将来自分で意思決定ができなくなったときに備えて、自身が望む医療について事前に家族・医療従事者などと話し合い、共有するというプロセスを強調しています。
 ではACPなら患者は満足のいく最期を迎えることが出来るのでしょうか?


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実は、ACPも相変わらず事前指示書の時と同じ問題を抱えています。 日本ではACPが始まったばかりで、しかもなんとなく始まってしまいましたので、医師や看護師、介護職にとってスキルを学ぶ機会がなく、患者の価値観を引き出すと言うよりは自分の価値観で進めている可能性があります。

 またACPが全員の患者に向いているとは思えませんし、特に病院では通常業務の他にじっくり話し合うことは現実的には無理に近く、仮に時間が取れたとしても、患者の意思を尊重して何度も行うことは出来ないのではないでしょうか?
 ACPの取り組みについては、問題点もまだまだ多く、今も続々と検証する論文が出ていますので、どうなるのか経過を見守りたいと思います。ただ、ACPに対する性急な取り組みに関して、私がとても心配していることがあります。それは、医療者が延命治療を受けるかどうかの結論を急ぐあまり、患者やその家族を傷つけていないか、ということです。


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ではACPを成功させる方法はあるのでしょうか?
全ての疾患に当てはまるとは思っていませんが、ひとつには、会議を行うには時間に制約がありますし、遠慮して意見を言えない場合もありますので、 日常会話の中で、多職種がそれぞれの専門性を生かして、患者の価値観を引き出すことが大切だと思います。
 もう一つは、ICTツールの活用です。言葉に出せない思いも文章だと書ける事もありますし、多職種が共有出来ます。次のスライドで私の医療介護チームの活用例をご紹介します。
 また意思決定する上で、同病の先輩の体験談や生活の知恵はとても参考になります。


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私のチームが使っているICTツールは、メディカルケアステーションという、患者家族、医療者、介護者しか登録できない、完全非公開型SNSです。2年前から使用し始めました。
 登録しているのは、在宅医、私が発症当時からお世話になっている他県の大学病院の先生、ちなみに今は通院していませんが、コメントを頂戴しています。それと訪問看護ステーション、介護事業所です。
 これは去年の呼吸器を付ける直前の私の投稿です。読みますと、
『呼吸器を半日以上付けるようになり、付けたり外したりしていたら、何となくナルコーシスになって、気づかないうちに夜中に他界する事を夢見ていましたが、痰が溜まると思うと怖くて睡眠時は必ず付けてしまいます。眠るように死ねない、、笑い』


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それに対する専門医のご意見は、
『無気肺をできるだけ作らないようにするだけで楽になるはずです。 寝ているうちに・・・・ですか。 ちょっと難しいかもですね。 できるだけ呼吸状態を楽に保とうとすると、人工呼吸器の使用を十分にしていくことになります。本当に思いきるのであれば断食するという手もあります。経管栄養の中止については日本老年医学会からのガイドラインもでているわけで、気管切開人工呼吸器の中止とは事情が異なります。今のところは、できるだけ楽に生活できるように頑張ってみたらいかがでしょうか。』
と、お返事が来ました。


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 このご意見を見て、今後死にたくなるほど辛くなったら逃げ道があると思い、安心して呼吸器を24時間付けられました。
でも、ちなみに私は安楽死、尊厳死法案には反対です。この問題については、この場では省かせていただきます。


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今回、小豆畑先生よりこの発表のお話を頂いた時に、一般の人はどんな事で困ってるんだろうと思い、ALS患者が800人くらい登録しているFacebookのグループに対して、在宅から救急搬送された方に質問をしてみました。
質問事項は、以下のようなものです。
  • 呼吸困難などで運ばれて、希望していなのに気管切開をされた方はいらっしゃいますか。
  • 救急医(かかりつけ以外の医師)に当たって、嫌なことを言われた(された)方がいらっしゃいましたか。
    受け入れ病院がなくて、たらい回しにされたことはありますか。
    その他、どんな小さいことでも結構です。



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Case 1: 真っ先に回答してくれたのはこの女性です。患者から見て医療従事者はどう映っているのかご紹介するために、敢えて原文のまま載せました。

『彼女は夜間のみマスクの人工呼吸器をつけていたそうですが、、呼吸困難になり、まず訪問看護師に電話したら、在宅医に電話するように言われ、在宅医からどこでもいいから行きなさいと言われて救急指定病院に搬送されたそうです。そこで医師から投げかけられた言葉が、「誰やこんな患者受け入れたやつ!!」だったそうです。』

在宅医と救急医の連携が取れていないのが最大の問題ですが、そのために、この言葉を投げかけられた彼女の気持ちを思うと胸が締め付けられます。ちなみに呼吸困難の原因はアレルギー性咳嗽だったそうです。


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Case 2: 次の女性は、当直医が呼吸器装着者を診たことがないという理由で、 かかりつけ病院なのにすぐ受け入れてもらえなかったという例です。

現状では、二次救急の当直帯の対応に関しては、そういう事もありうるとしか言いようがない状況です。原因は肺炎と胸水貯留という事でした。
何より夜中に急変するようなことを起こさないために、、先ほど述べたような「予防」 や、「早期発見、早期治療」 が求められます。訪問看護は週に複数回訪問するので、胸部の聴診をする際は、前だけでなく、必ず背側を聴いていただけると良いと思います。


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Case 3: この男性の意見は救急医療とは直接関係がないのですが、入院後のことです。

『呼吸困難で、確定診断を受けた病院に搬送されました。気管切開は初めから希望していたので手術をすることになったのですが、手術待ちに1か月で、その間BiPAPに繋がれて寝たきりにさせられました。入院前までは何とか自力で歩けていたのですが、寝たきり生活のせいか、体がほとんど動かせなくなりました。』

これをお聞きになって、病院の医療従事者の方の中にはこの話がピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ADLの維持は、患者や介護者にとって最優先課題のひとつです。特に、一日何回もある排泄の際に、ベッド上でしかできないのか、それともポータブルトイレに移れるかどうかで患者のQOLは雲泥の差があります。また手足が少しでも動かせるという事は介護負担の大幅な軽減につながります。ですので、できるだけ早くリハビリに介入してもらい、筋力、そして可動域の維持に努め、在宅でも継続的に行う体制を取れるようにして頂ければと思います。


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Case 4: 次は救急隊への要望です。

『呼吸器を付けて在宅療養を始めた頃 、真夜中に痰が引けなくなりアンビューバックで換気をされながら救急車を呼びました。救急救命士が、人工呼吸器の患者が初めてだったらしく、喀痰吸引が出来ず、オロオロするばかりで不安な思いをしました。』

救急隊の話の前にひとつだけ。私もたまにありますが、下気道の奥の方の粘性の強い痰は吸引圧を上げても引けず、苦しくなります。カフアシストをすれば割と楽に取れますが、訪問看護ステーションの中には、カフアシストが医療行為に当たるという理由で、頑なにヘルパーさんにやらせないところがあります。適切な指導があれば、手技や効果、危険性も含めて、誰がやっても変わりません。必要性を丁寧に説明し、みなさんの不安を取り除いてあげて頂ければと思います。


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話を戻しまして、続きです。

『後日消防署にお願いに出向き、自宅へ隊員に来てもらい人工呼吸器の写真撮影などをしてもらいました。初めて知ったのですが、救命士は、全員が喀痰吸引が出来るとは限らないことを知りました。かかりつけ病院の麻酔科の先生が消防署とカンファレンスを開催してくださったので、改善されて行くと思います。また我が家も救急車要請の際は、出来たら喀痰吸引が出来る救命士を同乗して下さいとお願いすることなどマニュアルを作りました。』

ということでした。
この事を教訓にして、家族の働きかけにより、麻酔科の先生と消防署、恐らく神経内科や在宅の先生も協力してくれて、結果的に非常に良い方向に向かったケースでした。


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最後にとても良いお話があったのでご紹介します。

『幸いに主人は緊急搬送されても嫌な思いをした事がありません。救急隊員の方で嫌な思いをした事もないし、かえって「〇〇さんですね!大丈夫ですよ!」と言って下さいました!皆さんのお話しを見るとありがたい事なんだと思いました!毎回通院してる病院に搬送して貰えているので、特に嫌な思いをした事はないです。患者や家族としてもカルテがあって主治医が居る病院に搬送される事はとても安心感が有ります。気管切開をしてからは救急車を呼ぶ事もなくなりました。』

救急隊員のかけてくれるこういう言葉ほど、患者や家族にとって嬉しくて救われる事はありません。神経難病患者だけでなく、全ての患者は、治らなくても医療従事者の真心のこもった言葉ひとつで、また自分のために手を尽くしてくれる姿を見て、元気が出ます。病院に行ってよかったと思います。

その事をお伝えして発表を締めくくりたいと思います。


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長時間のご静聴ありがとうございました。
文章の校正と編集:
日本在宅救急医医学会 編集委員会
小豆畑丈夫
編集後記:司会者として、そして、講演記録の編集を終えて

 私はこの文章を2019年10月22日に書いています。竹田主子先生の講演から一月以上を経ようとしていますが、講演を聴講された皆様から「この講演を記録に遺すべきだ」との声をたくさん頂き、講演記録を作ることになりました。ある講演を人が「素晴らしい講演だった」と評価するとき、その講演は必ずその時代の希求を満たしているのだと思います。皆が迷っている。しかし、まだ、それに対する答えが見つからない。どうしても答えに近づきたい。そんな思いに答える講演が皆の心に残るのでしょう。この講演は、まさにそういうものでした。記録を残すということは、未来の人々がこの講演記録を読むということです。その人たちのために、この講演がどのような世情のなかで行われ、なぜ、そんなにも人々の心を突き動かしたのか、司会者として、そして記録者として、その責任を果たすべく、ここに記しておきたいと思います。

 2019年の日本は、65歳高齢社人口が28.8%まで上昇し、世界一の高齢者国家として独走中です。日本政府はこれだけの高齢者医療を支えるのは病院診療だけでは経済的に不可能と考え、診療報酬による誘導や、地域ごとの基準病床制度を設けるなどして、病院医療から在宅医療への移行を強力に進めています。そのような方策で、在宅医療と病院医療が併存するようになりました。しかし、在宅医療と救急医療の連携のまずさから、在宅患者の救急対応の問題が生じてきました。その問題を考える為に2017年に日本在宅研究会が発足し、2018年に学会に昇格、学会としての初めての学術集会がこの2019年の第3回学術集会です。
 それと同時に、今、人生の終焉をどのように迎えるかについて、哲学者などではなく、医療者が考える時代が到達してしまいました。現在の日本の医療は、例え意識のない寝たきりの人であっても、何年間も生命を維持することが可能なレベルに達しています。しかし、それに対して、2000年代から「尊厳死」というキーワードで疑問を呈する考えが起きています。2007年に厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を作成しました。通常の医療のなかで、Do Not Attempt Resuscitation (DNAR)指示を取ることが1つの大切な医療行為となっています。さらに新しい概念として2018年にAdvance Care Planning (ACP)が日本に導入されました。つい最近、政府はこれを「人生会議」と名付けて、広く普及させようとしています。しかし、ACPもDNAR指示や事前指示書と同じような使い方をされていて、ACPが言われて2年以上が経っていますが未だに「ACPとはなにか?」ということが取り上げられています。この講演の中で、竹田主子先生は、十分な理解のないままACPが性急に現場に取り込まれていることに心配を述べています(スライド26)。それは障害を持った方々の気持ちは、変わりゆくことをご本人が経験していること、さらにそれに対する理解が少ないことに端を発しています(スライド12-19)。また、ある終末期医療を考える会合で、彼女はこのように話しています。

延命治療というが、障害者にとって人工呼吸器や胃瘻は眼鏡と同じで、補う道具。ACPは、本人が障害を受容できず絶望しているタイミングだと、本人を追い詰め、正当な治療を受ける権利を奪う可能性がある。
京都新聞2018年11月28日より
 
さらに、2019年に入って、日本に黒船が入ってきたときのような衝撃が医療界にありました。6月にNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」という番組が放映されて話題になったのです。52歳の多系統萎縮症の日本人女性がスイスで安楽死を遂げるまでのドキュメンタリーでした。これを期に、生きる権利があるのだから「死に方を自分で選ぶ権利」もあるはずだという意見があちこちから出てきて、安楽死を日本でも認めていこうという人たちまで現れました。この講演の中で、彼女は「私は安楽死に反対です」とただ一言述べています(スライド30)。しかし、この講演の2週間後に、彼女は安楽死に対する明確な意見を示しています。原文をそのまま拝借させていただきます。

こういう意見を言うとお叱りを受けるのを承知で申しあげますが、正直なところ私は、「無駄な死だな。」と冷めた目で見ていました。適切なACPがあれば、少なくともあの時点で死に急ぐ必要は無く、もしかしたら前向きに生きて何年も社会で活躍したかもしれないのに。。と残念に思いました。

命を守るはずの医療者が「たしかに悲惨だ!本人もそう言っていることだし死ぬのを手伝ってあげよう」という、『安楽思想』に陥ってもいけないとも思っています。
竹田主子先生のFacebook 2019.9.25の記事より
 私は、ACPや安楽死の問題を、ここまではっきりと語れる人に出会ったことがありません。講演などを聴いていても、「なんかどっかで聞いたような言葉だなぁ」というものが多く、腑に落ちることがほとんど無いのです。しかし、彼女の言葉は、確かに彼女が一人で考え抜いた言葉であることが感じ取れました。なぜ、彼女はここまで言い切れるのでしょうか?私なりに考えてみました。恐る恐るですが、私の考えを述べさせていただきたいと思います。本来、人間は間違いを冒す生き物です。科学者は世界のためにと思って研究に人生をかけますが、その結果、原子爆弾が生まれたりします。宗教者は、人を救おうと自分を犠牲にして人を説きますが、宗教戦争を起こしたりします。自分が正しいことをしていると信じている人であればこそ、大きな間違いを犯しやすい。それを避けるにはどうしたら良いのでしょう?方法があるとすれば、自分の中に全く違う考えの自分を複数持ち、お互いに監視し合う、それが唯一だと思います。彼女はALSの患者であり、実際に呼吸器を装着して自宅で生活しています(スライド7-10)。病気を受け入れ、今の自分にたどり着くまで4年を要したと話してくれました(スライド13)。さらに、優秀な内科医でもあるのです。自分の病気を科学者の目で理解し、世界中の様々な文献に目を通し、自分の状態を客観視する能力を持っています(スライド21-26)。医師として受けた教育とトレーニングがそういう彼女を造ったのは間違いがありません。彼女の中の「患者」と「医師」という相反する立場の2者が、彼女の中で常に鬩ぎ合い、問い詰め合い、その結果、絞り出された答えが彼女の言葉なのだと思います。だからこそ、迷いや悩みを抱えている人の心に届くのでしょう。この講演で、彼女は、自分の中の2者をぎりぎりのところまで我々に見せてくれました。これは非常に勇気がいることです。ご本人はとても見た目も可愛らしく、全く大げさなところのない静かな講演でしたが、聴く者には、この講演にあたっての彼女の覚悟が伝わったのだと思います。講演中、だれもが彼女について行こうと、必死なまなざしで彼女を見つめていました、終了後、300人程の聴衆から割れんばかりの拍手が巻き起こりました。司会者が質問を促しても、皆さんが心を奪われてしまい、しばらくは誰も声を上げられないようでした。
 最後に、この講演を聴いた私たちの責任について考えました。竹田主子先生に耳元でこんな風に囁かれ、大切なことを託された気持ちがしています。

 難病を得て、苦しみ悩みながら、しかし、逞しく、輝きながら、私たちは生きています。私達はこんなにもしっかりと生きている。それを支えるのが医療者ではないのですか?もっと、しっかりして欲しい。本当に大切なことから目をそらさないで欲しいのです。

追記:
講演を文章化するにあたり、必要最小限の改変、文章や脚注の追加を行わせていただきました。全て、演者に確認していただきました。また、演者の希望でスライドの写真の一部を文章に置き換えてあります。ご理解の程、よろしくお願いいたします。
2019年10月22日
日本在宅救急医学会 小豆畑丈夫